いまかんがえていること
2012-05-15 しめ縄は蛇の交尾を表す
あるコラムから

お正月の地方ごとの伝承は消え果てようとしているが、意味は曖昧になっても残っているものもある。お鏡餅を飾り、注連縄(しめなわ)や門松を飾り、丸餅をいただく。歳神(としがみ)様をお迎えする、という意識を持ち続けている方達もいる。
 歳神様は多くの地方で、蓑や笠を着ているとか、一本脚で足がとても小さいとか、山から来るなどと伝えられてきた。この不思議な特徴は、稲を守る「案山子(かかし)」と同じだということや、山カガシとは蛇の名だということなどから、歳神様とは蛇であり、古代蛇信仰の名残がお正月行事にも多々あるのだと、民俗学者の吉野裕子氏は唱え、なるほどと思う。脱皮して死と再生を体現する蛇の力を頂いて、人は新生を遂げようとしてきたのだ。歳神様が蓑や笠を着ているのは、蛇が脱ぎ捨てられる皮を着ていることを表すのだろう。
 鏡餅は「カカ(=蛇)身餅」で、蛇がとぐろを巻いている姿だと吉野氏は説く。鏡餅は神様へのお供えではなく、今でも御神体そのものとして扱われるが、古代には蛇そのものを御神体としていた。丸餅は蛇の卵そっくりの形であり、食べて蛇の力を身に取り入れようとしたのだろう。
蛇は、手足のない独特の姿、獲物を捕える目の力、有毒性など、畏怖すべき数々の性質を併せ持つが、崇拝されてきたのは、その壮絶な生殖力のためでもある。
 蛇の交尾は濃厚なことで知られ、雌雄がのたうち回りながら数時間以上をかけて縄のように絡まり合い、撚り合わさって交尾しながらさらに数時間から数十時間のたうつ。私の知り合いは山で突然、樹上から巨大な白蛇と黒蛇の絡まったのがドサッと落ちてくるのに遭遇し、心底ギョッとしたという。この姿をかたどったのが注連縄である。お正月は特に、至る所で見られる注連縄の神聖さの元は、蛇の交合の姿が示す根源的な力なのだ。
昨今、セックスレスが増えているという調査があり、社会的関心も集め始めている。委縮し疲弊している現代日本人。生殖力の象徴である蛇信仰から、再び命の水を飲めるとよいと思う。古来の信仰にはあったけれど、現代日本人の意識から失われてしまったのは、性とは戦慄をもたらすほど怖ろしく強い力であり、創造力も魔力さえもそこから溢れ出る、という見方だ。セックスレスとはその力から切れて生きることになろう。社会も新生の活力を失うことになり、やはり危惧すべきだと思う。
そもそも西洋キリスト教では、性は夫婦が子孫を残す手段としてのみ許され、厳しく規制されるものだった。日本の民俗宗教では性は神聖なもので、楽しむことを肯定されて、性の意味は全く対極的である。明治以前の日本では、家族制度上も厳格な一夫一婦制はなく、結婚外で生まれた子供も差別されずに育てられていた。
(明治大学文学部准教授 平山満紀)

性というと今では恥ずかしいこと、暗い、危険などのイメージをこれもマスコミから植えつけられたというのが正しいだろう。今ではほとんど報道されなくなったがエイズ問題は私は性の氾濫を抑えるための陰謀だと考えている。
それも特に日本人に向けたもので、武士道魂は自己の責任は自ら命を絶つことで償うというこの精神を江戸末期に知った欧米人とりわけユダヤ人にとっては恐ろしかったに違いない。また江戸時代までの性風俗は自由奔放だったし、強い武士は側室を取って子孫を繁栄させてきた。武士道魂を持つ日本人を少なくするための政策が明治維新後の一夫一妻制だったのだ。